1919年
1923年
1939年
1946年
1947年
1953年
1961年
1967年
1969年
1973年
1988年
1993年
1996年
1998年
2000年
2003年
2008年
2012年
2013年
以上がやなせたかしさんの年号となります。
さてさて、これらはいったい何が起こった年号でしょう?
最初と最後はわかりますよね。
1919年(0歳) 現在の東京都北区で誕生
1923年(4歳) 高知県に移住
1939年(20歳) 現・千葉大学工学部デザイン学科を卒業し、現・田辺三菱製薬に入社
1946年(27歳) 戦争を経て高知新聞社に入社
1947年(28歳) 小松のぶを追って上京し結婚、三越に入社
1953年(34歳) 三越を退職し専業漫画家となる
1961年(42歳) 「手のひらを太陽に」を制作、作詞を手掛ける
1967年(48歳) 4コマ漫画「ボウ氏」で週刊朝日漫画賞を受賞
1969年(50歳) 手塚治虫の虫プロダクションが制作する「千夜一夜物語」で美術監督を務め、同作のヒットのお礼に手塚のポケットマネーで「やさしいライオン」をアニメ化、毎日映画コンクールの大橋信郎賞を受賞
短編メルヘン集の十二の真珠で「アンパンマン」が初登場
こちらの「アンパンマン」は子供向けではなく、大人向けのアンチヒーローとして作られた
1973年(54歳) 雑誌「詩とメルヘン」を立ち上げ編集長となる
フレーベル館の月刊絵本「キンダーおはなしえほん」で子供向け絵本として「あんぱんまん」を発表
当時はあまり評判が良くなかったそうです。
自分の顔をちぎって食べさせるという発想が、当時の大人たちにはグロテスクに映ったんでしょうかねぇ。。。
でも次第に幼児層に人気が出はじめた。
1988年(69歳) テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」が放送開始。
いっきに「やなせたかし」という名前が日本中に轟いた。
その頃、大阪出身の人はもう大人なので、そんなに関心は無かった。
なので「やなせたかし」さんが、香美市出身ということは知りませんでした。
香美市で漫画家というと「はらたいら」さん。
若い人は知らないでしょうが、「クイズダービー」という番組の当たりすぎる回答者。
大阪出身の人の父親は香美市出身の人で、「はらたいら」さんが香美市の人であることは知っていたが、「やなせたかし」さんが香美市ゆかりの人であることを知らない。
朝ドラが決定したから、流石に今は知っているとは思いますが。。。
1993年(74歳) 11月に妻である小松暢が癌のため死去。
1996年(77歳) 高知県香美市に香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」が開館。
1998年(79歳) 同敷地内に「詩とメルヘン絵本館」が開館。
2000年(81歳) 日本漫画家協会理事長に就任。
2003年(84歳) 歌手デビュー。
2008年 香美市の13体キャラクター誕生(具体的な年は分からず、香美市キャラクター使用取扱規程の発行年を参考)
2012年(93歳) 日本漫画家協会理事長を辞任して会長に就任。
2013年(94歳) 8月体調を崩して入院。二か月後の10月13日午前3時8分、心不全で亡くなる。
事実なのか分かりませんが、小松暢さんが「やなせたかし」さんに言っていた言葉。朝ドラの脚本家である中園ミホさんによると「正義は逆転することがある。信じがたいことだが。じゃあ、逆転しない正義とは何か?飢えて死にそうな人がいれば、一切れのパンをあげることだ。」
本当だとしたら素敵やなと思う。アンパン誕生秘話になるやん。
朝ドラで使われるやん。。。きっと。
もっと沢山いろんなことがあったでしょう。
ネットで見つけた情報を要約して、年表みたいにしただけでございます。
50歳で「アンパンマン」と出会った「やなせたかし」さんこそ「アンパンマン」だったのかもしれませんね。
というわけで、本日はこの辺りで。。。。
スタッフ 大阪出身の人
ほな!
【やなせたかし年号】#51
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