香北町にはいくつかの昔ばなしがあります。
今回は簡単にそれを紹介しようと思います。
山犬さま
江戸時代に四方を山に囲まれた韮生野(韮生の里がある場所辺り)猪野々(韮生の里よりもう少し奥に入った集落)は、イノシシによる畑の被害が多発していました。困り果てていた村人の前に、山から山犬がひょっこりと現れた。そして山犬はイノシシを追い払い、また山へと帰っていった。それ以来、村ではイノシシによる畑被害はピタリと止んだ。大喜びした村人は山犬に感謝し「山犬さま」と称えた。山犬さまは、「守り神」として祀られました。
と言ったお話です。
実際、江戸時代には狼が生息し、イノシシなどを捕えていたそうです。
伝承として韮生の里付近で多く語られていたお話です。
山の神「山犬さま」を祀る祠が点在している。具体的に言うと、山と田畑の境目に点在しているようです。
おらし様
昔、韮生野の若い娘が田んぼで草を取っていると、白い布をまとった小さな神様がふわりと現れました。神様はこう告げます。「この田を大切にしなさい。水を粗末にしてはならぬ。」そう言った後、すっと姿が見えなくなりました。娘は驚いて家に帰り、家族に話しました。これを聞きつけた村の長老は「それは、おらし様だ」と教えられました。その年は村中が大豊作となったそうです。それ以来、韮生野では田植え前に白い布を供える風習が生まれました。
山からの災いを防ぐ。
畑を荒らす獣を遠ざける。
ちょっと「山犬さま」と被るようなお話ですね。
水の流れを守る。
白い布は水を表している。
水の神様として称えられている。
余談ですが、水にまつわる神様的なモノ各地には沢山あります。お稲荷さま、竜神、蛇、宇賀神、弁財天(弁天様の頭には小さな宇賀神がよく乗っています)かっぱ、雨宝童子など。
玉織姫伝説
時は鎌倉時代、源氏の追っ手から逃れ、この地に隠れ住んでいた平家の落人一門に、伊和三太夫(いわさんだゆう)という武士がおりました。彼には近隣でも評判の美しさを持ち、機織りの上手な玉織姫という一人娘が居ました。
ある夕暮れ時、姫は機織りの道具を返しに隣村へ出かけますが、夜になっても戻ってきませんでした。
娘を心配した三太夫は「あの滝壺に住む大蛇にさらわれたに違いない」と直感します。彼は家伝の名刀を口にくわえ、轟々と鳴り響く滝壺へと身を投じました。
すると、水底には不思議な事に水の無い広々とした岩盤の世界が広がっており、そこには立派な御殿が建っていました。
御殿の中で三太夫を待っていたのは、行方不明になっていた玉織姫でした。姫は涙ながらに、こう語りました。
「お父様、私はここの主である若侍に見初められ、妻となりました。もう人間界へは戻れません」
娘が紹介した夫の正体は、この滝の主である大蛇の化身でした。三太夫は驚きましたが、娘の決意を知り、そのまま三日三晩、豪華なもてなしを受けました。
別れ際、玉織姫は形見として自ら織った見事な絹の反物を父に渡し、永遠の別れを告げました。
三太夫が地上に戻り、村の屋敷に帰ってみると、驚いたことに地上では三年の月日が流れていました。
その後、三太夫の家とこの山里は、姫の守護のおかげか非常に繁栄したと言われています。
現在、滝のすぐそばに「轟神社」があり、この玉織姫が「幸福と繁栄の女神」として祀られています。
滝を訪れた際は、三段に分かれ落ちる激しい水の音の中に、姫が今も機を織る音が混じっていないか、耳を澄ませてみるのも風情がありますね。
このお話は「まんが日本昔ばなし」でも取り上げられています。
大荒の滝の伝説
昔々、二体の龍が今の香北町に現れたそうです。どういった理由かは知りませんが、この二体の龍は他所から住処を探して流れてきました。最初に見つけたのは轟の滝でした。二体は気に入ったようで滝に近づいていくと、そこにはもう先住者である、大蛇と玉織姫がおり諦めざるをえませんでした。
仕方なしに二体の龍は空に舞い上がったところ、轟の滝からほど近い場所に大きな岩石が乱立し、深い淵を持つ滝を見つけました。
龍たちは喜び「此処こそが我々の住み家にふさわしい」と大竜巻に乗ってその滝へと降り立ちました。
二体の龍はその滝をとても気に入り、住みつくようになりました。
しかし、この龍たちが滝の周辺で派手に遊ぶので、疾風迅雷(激しい風や雷)」が巻き起こりました。
凄まじい轟音が山々にこだまし、周辺の山林は嵐が来たかのように荒れに荒れたと言います。
その様子を見た村人たちは「山を荒らす滝」という意味を込めて、この滝を「大荒の滝」と呼ぶように伝えられた。
「轟の滝」と「大荒の滝」はセットで語られることが多いようです。
・轟の滝:平家の落人伝説や機織りの音、姫との別れと言った「情愛」や「哀愁」を感じさせる物語。
・大荒の滝:竜神のたわむれによる嵐や雷鳴と言った「自然の猛威」や「荒々しさ」を象徴する物語。
昔ばなしとはちょっと違いますが、韮生の里のすぐ近くにある大川上美良布(おおかわかみびらふ)神社に伝わるお話があります。
1500年以上の歴史を持つとされる、非常に古い神社で、この地域の総鎮守として深く崇敬されていきました。
この神社には、単なる伝説だけでなく、神様がこの地にやってきた由来や、人々の願いにまつわる不思議な話が残されています。
主祭神である大田田根子命(おおたたねこのみこと)にまつわるお話です。
この神様は、もともと奈良の三輪山(大神神社)の神様である大物主神(おおものぬしのかみ)の子孫とされています。昔、第十代崇神天皇の時代に疫病が流行した際、大田田根子命に神を祀らせたところ、病が治まり国が平和になったという伝説があります。
その後、どういった理由かは知りませんが、大田田根子命が遠く離れた土佐のこの地へとやってきました。川を中心に、周囲に美しい布を広げたような素晴らしい場所(美良布)を見つけ、そこに鎮座することを選んだという、土地の豊かさと神聖さを象徴する伝説が伝わっています。
神社のある地域は「韮生(にろう)」とも呼ばれていますが、これは「命の生まれる場所」という意味が込められているという説があります。
昔、この地域に大きな災い(干ばつや疫病)が起きようとした際、神社の神様が物部川の激流を迎え、あるいは恵みの雨を降らせて村を救ったという話が断片的に語り継がれているそうです。
別の話では、長曾我部氏や山内氏も戦の前にこの神社へ祈願し、大きな勝利や加護を得たという逸話が残っているそうです。「力の強い神様」として恐れられ、崇高されてきました。
個人的には「おらし様」が一番好きです。
白い布をまとった小っさいおっさん。
捕まえて家に持って帰りたいです。
というわけで
今回は香北町の「昔ばなし」を調べてみました。
スタッフ 大阪出身の人
ほな!
【香北昔ばなし】#77
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