2022年8月5日
はい、すいませんまたお野菜関連の話です。。。
私、どうしても香美市の産物の背景を知りたくて、この数週間ネットを中心に調べていたのです。
そこで少しだけ見つけたことを書き書きしたいなと思います。
香美市と言えば柚子とニラ、生姜、お米なイメージなのですね。
何度も言うてますからよく読んでくださってる人は、はいはい分かりましたよってなると思うのですが。。。
でね、じゃあその作物っていつ頃から作られたのか、
って勝手に気になってるんですよ。
なんかそこに人の営みと申しましょうか、そのような匂いというか空気感というか熱量を感じてしまうのです。
私は何を言ってるのでしょうか???
言っている本人もなんじゃこれ?な表現ですが、ことの始まりというのが好きなんですね。
柚子、ニラ、生姜、お米ですが、お米は既に#15でウラは取っておりますので、今回は柚子とニラと生姜のウラどりをします。
先ずは柚子!
調べましたよ。 多分一番詳しく分かったと思います。 ゆずの生産には、平均気温12~15℃で他のカンキツに比べやや冷涼なところがよく、乾燥の激しい土壌は好ましくない、とされている。 香美市物部町は、平均気温が14.9℃で、降水量が多いものの水はけが良い樹園地が多く、果皮が引き締まった果実が生産できる。 だそーです。 なるほど、だから香美市の一番奥にある山間部にほど近い、徳島県に隣接する物部町が適していたわけですね。
で? でですね、昭和35年に旧物部村根木屋地区(どこそれ?)の松田馬太郎氏が、130本のゆず苗木を植えたのが始まり出そうで、昭和46年には旧物部村全土に広がったそうです。 今や日本一の出荷量を誇る農作物となりました。 だいぶ端折って書きましたが、もっと詳しく知りたい方は、下記の出典もとである農林水産省のページをご覧になってくださいまし。 物部ゆず←こちらに詳しく載ってます。
続いてはニラでございます。
ニラの栽培は昭和33年に香美市のお隣の香南市野市町で始まりました。
香美市土佐山田で昭和38年に生産がスタート。
昭和44年ごろには簡易パイプハウス導入し栽培面積も急増。
高知県はニラの生産量・出荷量日本一で香美市香南市(土佐香美農業協同組合)がその中でも一番多い。
全国で見ると香美市は4位となります。
土佐香美農業協同組合←出典もと、詳しく知りたい人はこちらへGO!
さてさて最後は生姜です。
これが全然見つからないんですよねぇ。。。
生姜も高知が生産量日本一なのですが、なかなかに欲しい情報が見つからない。
という事で、香美市内にある生姜の生産卸及び加工品を手がける「坂田信夫商店」と「あさの」のヒストリーから探ってみることにしました。
「坂田信夫商店」「あさの」共に生姜に取り組んだのは昭和25年と記しています。
三つの生産物の中で最も古いのですね。
戦後間もなくですからね。
まだ食料が少なかった時ですからね。
そんな時に高知市内の料亭などから生姜が欲しいというリクエストがあったそうで、ならば生産してみようということになり始めたそうです。
ただ最初は苦労されたそうで、需要時期が6〜8月なのに収穫時期が11月。
どうやって越冬させるかが課題だったようで色々と試行錯誤して畑に大きな穴を開けて生姜を埋めて土を被せ、その上からワラやもみ殻を被せて越冬させたところ成功したそうです。
今は管理された倉庫の中で越冬させ需要時期に出荷しているようです。
坂田信夫商店←出典もと
とまぁちょっとスッキリしました。
生姜は少し早く生産が始まりましたが、柚子やニラほぼ同じ時期から始まりましたね。
この頃の日本や高知県はどんな世の中だったのだろうかと思いを馳せてしまいます。
ちなみに昭和34年は若い人は知らない歌手だと思いますが、ペギー葉山さんが歌った「南国土佐を後にして」が100万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
どーでも良い話という余談であるが、この曲を原曲を譜面に起こし整理、改編した人物が武政という人で、武政を師と仰いでいた青年が大学に進学する時に送った曲だったそうです。
そしてその贈られた青年はやがて中学校教師となり、教え子の1人が山下達郎だったんだって。
ホンマ野菜と全く関係ない。。。
失礼しました。
で、野菜の話に戻りますが、色々調べておったところ面白い資料が見つかりました。
柚子やニラや生姜だけじゃないんですね。
春のネギが香美市は全国で7位の収穫量だそうです。
冬春ピーマンも33位と健闘していると思います。
ジャパンクロップス←出典もと
とまぁ今回もしつこく柚子、ニラ、生姜について書きました。
もう当分こういうネタは書きません。
多分。。。。
きっと。。。。
恐らく。。。。。
というわけで今回も最後まで読んでくださった皆様
ありがとうございました。
スタッフ 大阪出身の人
ほな!
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